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小旅行 2日目 マクアにて

マクア Makoua に到着し、イトワさんの親戚の家に泊めていただいた。家の主人は不在だったがお嫁さんが「嫁は働かないとね!」とにこにこと、石造りの家の床を常に箒ではき、てきぱきと働いていた。おばあさんは目が不自由だったが、突然おしかけてきた私とJの手を握って、「こんな遠くまで来てくれてうれしいよ」と歓迎してくれた。「外国人を見るのは私の人生で初めてだわ」と、翌朝も「昨夜はうれしくて眠れなかったよ」と言ってくれた。d0052090_11213529.jpgd0052090_11225848.jpg
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イトワさんのお父さんは、1960年代コンゴ独立の際、南部出身の大統領誕生に北部マクアからサポートした市会議員ということで政府から感謝され、亡くなったあとも記念碑があるそうだ。息子のイトワさんも町じゅうが知り合いのようだった。皆に「ヤヤ(目上の人への敬称)、ヤヤ」ともてなされていたが、性格上、人のお世話をするのが好きなようで、水を買ってくれたり、近所の人の荷物を持ってあげたり誰にでもこまやかに気を配っている。
マクアでは、自転車に乗っている人が多いことに気づく。ブラザヴィルではめったに見ないし、それも女性が乗っていることはまずない。マクアの町は、ゆったりとスペースがあって、花や樹木も鮮やか、小川も流れ、リゾート地のような趣だ。

イトワさんが、役場が持っている唯一のクルマというのを手配してくれた。「今日はこれで一日観光しよう!」 ブラザヴィルを出てからは、どの町でも村でも、車といえば四駆である。ここの道では四駆でないとクルマの意味がない。

ツナギを着たおにいちゃん(役場の職員とのこと)たち三人も乗ってきた。昨日からわかってきたが、バスだろうが四駆だろうが、運転手さえいればクルマが動くわけではない。コントローラーとかエンジニアとか、運転手以外に2-3人のお兄ちゃんが必ず乗ってきて、途中でクルマの下にもぐりこんで部品を直したり、とりかえたりして、初めて車は順調に前に進むのだ。

昨日の雨で、道は水溜りだらけだった。案の定、四駆のプラドも水のなかに埋没した。ツナギのお兄ちゃんたちが水と泥をくみ上げ、車を押して、脱出する。一度、どうしても脱出できず、先に歩いてて、と私とJとイトワさんとで森の道を1キロくらい歩いた。森は、ジャングル、と呼ばれるのかもしれないが、決してうっそうとした密林ではなく、樹木もそれほど高くない。きれいな色の小さな鳥がさえずっている。

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まず、私たちは「赤道」に行った。そう、マクア Makoua は「赤道直下」の町なのだ。昼が近づき、太陽も頭上真上に位置して、地面の影も見えなくなるのだ。マクア市役所?の議長をまず訪ねて挨拶して、といわれて行ってみたら留守だったので、じゃあ、赤道はこの裏にあるから、と案内され、わくわくして行ってみると・・・
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「赤道」と書かれてペイントされたドラム缶がひとつ、置いてあった!
ちなみに、隣のガボン共和国では、赤道ツアーというのが観光の目玉としてあって、赤道通過証明書というのも発行している、と聞いていた。
J夫は、マクアでも発行してもらおう!と、また市役所にもどって議長に頼み込んだ。
かくして、私のフルネームと、議長のサインとマクアの印鑑のついた即席「赤道通過証」ができあがり、再び建物の裏の「赤道」地点にもどって、撮った写真がこれです。

マクアは、かつてフランス人やイタリア人のカトリックのミッショナリ-(宣教師)が多く住んだところで、いまでも、カトリックやイエズス会の教会や住居がある。10年前の内戦で多くの人が一旦去ったとのことだが、学校や孤児院や教会、宣教師住居は、人々の明るい声が響いていた。フランス人のシスターで80歳になる方が、「私は十代でコンゴに来て以来ずっと住んでいるのよ」とはつらつと話してくれた。

この日の夜は、宣教師家族用の住居を一軒、宿泊用に貸していただいた。
マクアの夜景は一生忘れられないだろう。夜空一面の星、そして、広がる草原には一面に蛍が光っていた!日本の蛍より小さい光の蛍が、地面一面に無数に光っていて、その続きに無数の星があった。
ただし。
蛇がでるから、夜は歩かないようにといわれていたので、写真もビデオにも撮れなかった。
その光景は記憶にとどめただけである。d0052090_11272331.jpgd0052090_11274088.jpg
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3日目 マクア Makoua からブラザヴィル Brazzavilleに戻る
宿舎の部屋にも迷い込んできた蛍が舞うのを眺めながら眠りにつき、翌朝またイトワさんたちの家に合流する。
前日は電気のある日だったが、「電気のある日は存分に電気を使う」のか、町では一晩中ライブバンドが大音響で演奏していた。自然に囲まれた土地にいかにも似つかわしくないのだが、そこはひょっこり訪ねた部外者が判断することではない。
エレキの音がまだ頭に響きながら、イトワさんと食卓に着くと、「今日は、はりねずみを料理したよ!」と言う。「僕が森で獲ってきたんだ」と昨日から一緒に町をまわったお兄ちゃんが言う。
はりねずみの「はり」はもちろん除いてあって、鶏肉のような味だった。
書ききれないが、マクアで体験した生活は、ブラザヴィルとはまた違う、ある意味とても豊かな暮らしだった。おばあさん始め人々と別れを惜しみながら、また信じられないほど荷物を積み込んだマイクロバスで帰路についた。
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by tytomoyo | 2007-07-05 12:35 | 小旅行 3.

旅 – (まだ)1日目。 トヨタのピックアップに乗りかえる。

オワンド Owandoを出たのが16時半。ここで乗り換えたピックアップ・トラックがまた、びっくり仰天モノだった。
バスからトラックに乗り換えたのは20名弱。しかしトラックは1台。しかも、後ろから見ると、Mitsubishiと書いてある荷台だが、車の部分はToyotaだった。
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運転席の横、つまり助手席スペースに、私とJと、もう一人小柄だが男性一人の計3人(!)が割り当てられ、後ろの列に6人(!)が座ることになった。残りの人たちは荷台だ。私は、運転席の横でシフトギアをまたいで足を一本ずつ入れるように言われてぎょっとしているうちに、隣に小柄なおじいさんとJが乗り込んでくる。さっきバスで座席を詰めて座ったどころではない。今度ばかりは、おじいさんが小さいおしりを席の前のほうにちょこんと乗せて、体を互い違いにしないと入らない。片膝をギア台に立てると、運転手が私の両膝の先でシフトを入れ替える。ビミョウな位置だが、半身にかまえて気を抜かないようにする。

マクア(Makoua)までの道はあと75km。ここからは道は舗装されておらず、土ぼこりをあげながらトヨタ・ピックアップがかっ飛ばす。はたから見たら、赤土をはねながら豪快に走る四輪駆動のクルマのコマーシャルの場面のようかも、とちょっと思ったが、乗ってる私たちはクルマと一心同体で跳ねたり揺さぶられたり、決して快適ではない。

運転手のムシュー・イバラは、「ここがオレのテリトリーだい」とばかり「何時に出発した?4時半か、じゃあ中間地点には5時半に着くな。で、○○村に6時半、マクアには8時前ってとこだな!」

え、あと3時間半も乗るの、この体勢で!?
「日が沈む前に走れればもっと早かっただよ。何でこんなに遅く着くんだよ。でもオレが運転手でホントに良かったぞ、この道は運転手しだいだからな。がははは!」

「マクアまでの初めの半分は、道がいいから、とばすぞ、つかまれよ~」 
しかしイバラ運転手、そう言うわりには、まれに行き交う車や、通り過ぎる村に知り合いが多いらしく、そのたびに止まって話したりしている。トラックと行き交って止まったときなど、「メルシー、がはは」と紙パック入りの赤ワインをもらって、即座に後部座席の女性に「それ、飲むんじゃないでしょうね、ちょっと貸しなさい、持っててあげるからっ」と取り上げられる。私は振り向くことができないが、後部座席で身動きできない6人はムッシュ・イバラの一挙一動に注視しているもよう。

荷台には「コントローラー」のお兄さんも乗りこんだらしく、イバラさんに何か叫ぶとイバラさんも大声で応答しながら運転する。ホントに皆、何かをしながら大声で話すエネルギーがあるヒトたちだ。コントローラ-は、荷台に立って、「ぬかるみがあるから右に除けて!」とか後方からイバラさんにアドバイスしている。イバラさんは、「右か、よし!」と言って左にハンドルを切り、「ここは左だよ、オレの方がよく知ってるぞ、がはは」という調子だ。

たしかにイバラさんが言ったとおりの時刻に中間地点を過ぎる。
「さあ、ここからだ」と言うとおり、車はでこぼこの土山に乗り上げたり、ドスンとタイヤが溝に落ちたりしながら前に進む。荷台から、わー、おー、と悲鳴が聞こえる。後部座席の女性の一人は、「ああ、ジェジュ(ジーザス)!」とそのたびに悲痛な声で叫ぶ。ムシュー・イバラは、落ち着いた声でああ、ジェジュ、ジェジュと口真似しながらハンドルをきり、私の膝の前でシフトを入れる。

後部座席の別の女性が、ジェジュと叫んでいる女性に、「あなた、こういうときはパニックしないほうがいいのよ」と言い、ほかの男性も「んだ、んだ」と言うと、叫んでいた女性はぱたっと口をつぐむ。

クルマとヒトは横に縦に弾み、揺れながらも順調に道をすすんでいく。
たしか今朝は、14時ごろマクアに着くと聞いていたのだが。これだけの路程の後に着くマクアという地には何があるんだろう、と私は膝先のシフトと車の前方を交互ににらみながら思う。
イバラさんは豪快に会話しながら太い腕でハンドルを切り、「思ったより早く着くな。7時半ごろには」

日が暮れ始める。次第に細くなってきた道の両側は畑や森がつづき、村が近づくと水を運ぶ人たちや、いろいろな食材やら薪やらをかかえたり頭上に載せたりしている大人や子どもが、行き来している。イバラさんは、村に近づくたびに激しくクラクションを鳴らし、それを合図に人々は道端の草むらに全身を隠してじっと車が通り過ぎるのを待つ。

イバラさんはふと止まって「ありゃ、今のは叔母だ、後ろに乗せにゃあ」とつぶやき、コントローラーに向かって叫ぶ。「無視するわけにいかんのだ」。後ろから薪をかついで、小さい男の子を連れて歩いてくる年配の女性を荷台に乗せる。

クルマは止まるたびにバッテリー切れのランプがついてエンジンが完全に止まる。キーをまわしてから電線と電線をたぐり寄せて、手でその先と先を接触させるとエンジンがかかる。止まるたびにイバラさんがそうやってエンジンをかけるので、車内の9人は皆イバラさんが接触させるケーブル電線の先をじっと見て、エンジンがちゃんとかかるたびにふうっと息をつく。

クルマはまた上下に激しくはずむが、一分もたたないうちに荷台から「わー」「止めろ、止めろ」と声がかかる。「この人、降りるって。」とコントローラーがいま乗せたイバラさんの叔母さんと男の子を降ろしている。
荷台での数十秒は真底恐ろしかったらしく、顔をこわばらせて降りてきたイバラさんの叔母さんは、荷物を背中にしょい直すと、運転席のイバラさんに「二度と私にこんな仕打ちをしないでよっ」と真剣な顔でにらみ付けると、男の子の手をひいて前を向いて歩き出す。車内の人たち、ひそかに大爆笑。ムシュー・イバラは、ムスッとしながら、またケーブルの先を接触させてエンジンをかける。

はるか続きそうな山道をまっすぐ見て一歩一歩歩いている叔母さんと男の子の横を、車で騒々しく通り過ぎる。叔母さんの横顔が「これで私たちはいいのだ」と言っていた。

気がつくと一気に日が暮れてきた。明かりが一切ないのでホントに暗い。車のビームライトもなんとなく頼りない。しとしと雨が降り始めた。これから雨季が始まると、道はもっとたいへんになるそうだ。

ジェジュ、と叫ぶのをやめた女性が、「荷台にある荷物がぬれちゃうわ、中に大切な文書があるのに」と言い始める。イバラさんは、なーに、この雨はひどくはならんよ、それに人が荷物の上に座っているから荷物はぬれないよ、がはは、と気楽に答えている。それでもまだ「文書がもしぬれたら・・」と女性が言い続けるので、「それは、どの荷物だ?青いバッグか、赤いのか?」とイバラさん。「緑のか、緑のなら大丈夫だ」ホンマか!と関西人でなくともツッコミたくなる発言だったが、皆わざわざクルマを止めてほしくなかったので、「ウィ、ウィ、だいじょうぶだ」と子供だまし作戦で道をすすむ。

ところで、同行していたイトワさんは荷台組だ。途中で何度も「だいじょうぶですか、荷台で?」とたずねたが「ワタシはだいじょうぶだよ、全然。こういうもんよ」とあっけらかんとしていた。いつも、マクアに帰るときはこういう旅なのか、とかえって感心?する。

「ええと、今日は月曜日だったな」とイバラさん。「マクアは電気のない日だ」 え?
「1日おきだよ、電気は。ブラザヴィルは突然、停電になるけど、マクアは突然はない。決まってるんだ。わかりやすくてよい」

疲れてきたし、なんでもいいから早く着いてほしいと思った頃、ほんとに7時半に真っ暗のマクアに到着した。ランプを持った人々がそぞろに集まってきた。
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イバラ運転手と。

つづく。
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by tytomoyo | 2007-07-04 17:20 | 小旅行 2.