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マクアへの道

旅 - 前夜

3日間の予定で小旅行をすることになった。
目的地はコンゴ北部のマクア(Makoua)という町。

当初は、オザラ国立公園という、北部のガボン共和国との国境地帯で動物を見てみたい!という希望だったが、国立公園に入るためのガイドや交通手段が確保できなかった。というか、まず観光客のほとんどいないこの国で、「国立公園に動物を見に行きたい」という希望を聞いてくれるエージェンシーや家族の知り合いもなく、どうしたらいいんだろう?と電話で話しているうちに出発近くになってしまった。

オザラ国立公園でゾウの研究をしている萩原みきこさんに、ようやく特別にガイドの手配をしてもらったが、日程があわない。私達としては、限られた滞在期間のなかで、ブラザヴィルの実家から数日間で小旅行するのが希望だった。さらに、運悪くというかなんというか、近年その国立公園を訪ねた稀有な日本人観光客があったらしく、日本からツアーで80万円くらい払って、ゴリラやゾウを見に来たらしい。今回も日本人だから、というのかどうか、ガイドと交通手段にゼロのいっぱいついた法外な値段がふっかけられた。
ブラザヴィルの家族に聞くと、「そのお金、動物見るために、払うのか?気はたしかか?」と言われた。「それになんで、わざわざ遠くまで不便な旅するの、地方は未開の地域よ」と、自分の国とは思えない不信感。

結局、旅行の計画はいまひとつ具体化せず、ブラザビルに着いてから、旅行はどうする、こうする、と話していると、G子お姉さんが、「いい人知ってるわ」と携帯で電話し始めた。「・・ってあなたの地方でしょう。様子をおしえてあげて」

そうして現われた救世主が、ムッシュ・イトワさんだ。イトワさんは、マクアの出身で、マクアの市会議員で有力者の息子さん。それがどういう意味なのか、その時点では重要さがわからなかったが。電話後すぐに来てくれたのは、家がすぐ近所だっただけではなくて、とても面倒見の良い、親切な、そして出身地マクアを切に愛するイトワさんの人柄ゆえだった。

「じゃあ、3日間の旅程で、マクアに行こう!」と、結局イトワさんの町に、イトワさん自身といっしょに行くことになった。「動物は、いますか?」「マクアには、いないんだよ」「途中の道や寄れるところで、動物が見れるところはありますか?」「うーん、道からは見えないし、途中で寄るための交通機関もないし、第一、動物見るために寄っていると、マクアに着くのが遅くなるよ。」

動物は、見られないのか...?というギモンが離れないまま、出発となった。とにかく、首都ブラザヴィルから北600kmを旅することになる。きっと、ジャングルの中で動くもの、とか、草原を走るもの、とか何かしら旅先には待ち受けているにちがいない。
日本から持ってきた、虫除け携帯ベープ、ムヒ軟膏、装着できる蚊帳、頭につける懐中電灯、レインウェア、トレッキングシューズ、といったものをバックパックに詰めて、インディ・ジョーンズの夢を見ながら、出発の朝を迎えたのでした。

旅 - 一日目 バスに乗る

朝5時半に出発して、長距離バス・ターミナルへ向かう。Ocean du Nord という唯一の長距離バス会社は、もともと国営だったが、民営化されて今ではセネガルの会社が経営しているらしい。北部に旅行する公共交通機関は、飛行機か、このバスしかない。コンゴ南部には鉄道もあるが、北部は、Owandoという町までようやく道が舗装されて、バスが通るようになったのはこの数年のことらしい。

ブラザヴィル(Brazzaville)からマクア(Makoua)まで634km。途中、オヨ(Oyo)、オワンド(Owando)という町を通過していくことになる。バスの運賃は、ブラザヴィル-マクアが片道15,000 CFAフラン (3,000円くらい)とのこと。

バス・ターミナルに6時AMに到着。早く早く、とせかされて着いたので、バスに駆け込んで出発するのかと思えば、これがまた、イトワさん曰く「これからバスの良い席をとるために交渉してくる」という。ターミナルは、出発を待つバスと人だかりと荷物で、空港の混雑を彷彿とさせる。が、空港とは違い、あくまでドメスティックな交通機関らしく、金目の外人客をねらっているポーターとか警備はなく、どことなくのんびりしている。

待ち合い室で座ってて、と言われてぼーっと座っていると、居合わせたイトワさんの同郷の女性とその子どもに紹介される。昨日おそわった、マクアの言語で「オディー(こんにちは)」と挨拶。とたんに満面の笑顔になったそのお母さんは、ちょっと娘を見てて、とドーナツをにぎりしめた女の子を私に託して用事に出かける。女の子は、「何者か、このひとは」と私をじーっとみつめる。「オディー」としか言えない私は、彼女には見つめるだけの相手だ。
お菓子や薬などの売り子(のお兄さんたち)が、何十回も行ったり来たり(買わないったら買わないのに)するのを、女の子とふたりぼーっと眺めて待合室のベンチに座っていると、もう7時半になっている。イトワさんとJ夫がようやく戻ってきて「出発だ」という。

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人だかりをかき分けてすすむと、バスはものすごい荷物を積み上げられて出発を待っていた。トヨタのコースター。日本でいうマイクロバス。車体に絵を描いたりすると、幼稚園バスになるヤツだ。

車内の運転席の後ろには既に、荷物が天井まで積み上げられている。スーツケースや手提げ袋、バケツや、フランスパンや、洗剤や靴(つまり何でもかんでも)が、客席との厚い壁を作っている。さらに、車体の屋根の上に、ボストンバックや麻袋を載せるため、窓によじ登って作業している人がいる。プリント紙を持った人が、おもむろにバスの乗車口から乗客を呼び始める。「ムシュー・・・」名前を呼ばれた順にバスに乗り込むシステムらしい。

バスの客席は、一列に左右2席ずつと補助席で全部で6列、定員30名というとことか。真中の列の窓際に私、その隣にJ夫、そして1列前にイトワさんが座る。
それから、ほかの乗客が乗ってくる。席がいっぱいになっても、まだ乗客の名前が呼ばれ、順番にひとりずつ、乗ってくる。え、もういっぱいなのに?「二つの席に三人だよ、詰めて、詰めて」と車掌さんらしき「コンダクター」が言う。

私は窓側だったが、隣のJ夫の向こうに、すごーく立派なヒップの女性が来てしまった。おまけに皆、手荷物を足元や膝に置くつもりで両手にかかえている。後ろのおじいさんは、人を乗り越えて座るのには手がふさがっていて、とうとう右手に持っていた長いフランスパンを、左手に持っていた長靴のなかに突っ込んでしまった!

バスが出発する。バスの周りで見送りの人たちがどよめく。「元気でねー」「また会おう」手を振る人、窓にへばりついて名残をおしむ人・・・。まるで、船の発着場のような(見たことないが)出航シーン。
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ブラザヴィル Brazzaville の町は小さいので、風景はすぐに草原に変わる。道路は舗装されていて、バスはかなりのスピード(150h/km)をあげる。草原のなかを、なだらかにうねる一本道。横から入ってくる道もなく、行き交うトラックやバスもまれにしか見ない。
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見送り騒動を終えてやっと落ち着いた乗客は、疲れて寝てるか、黙って外を見つめていて、子どもたちがたまにぐずっている以外は静か~にバスに揺られている。唯一、ドアの近くに立ちっぱなしのコンダクター(車掌)が(それも3人も乗っている)、流れているラジオの音楽にあわせて歌ったり、荷物ごしに運転手と談笑している。風景はほとんど変わらず、低い草木の茂るなだらかな丘がつづき、たまに村があって、藁葺き屋根の大きめの家々のまわりで子ども達がかけまわっている。

そのようにして、朝8時に出発してからなんと14時まで一直線にバスは走り続け、ンゴ Ngo という町に到着した。果物や飲み物、特産の芋類を道の両脇の店で売っている。バスの止まる付近が、簡易「サービスエリア」となっている。

店の裏側に、ついたてで囲われた簡易トイレがあった。森の木の陰に穴が掘ってある「ドボン」トイレだった。一緒にバスから歩いていった女性に、「男の人が入ってこないようにそばに立っててね」と言われて、鍵もないから、こうやって互いに見張ってればいいのね、と思ったのだが、そこへもうひとり女性が来て「なかに入っているのは女性?」と聞く。「ウィ、女性ですよ」と言うと、なんと、「じゃ私も」とついたての中に入ろうとするではないか!ちょうど前の女性が出てきたので、「二人同時トイレ」状態は発生しなかったが、それも「あり」なのか!混浴じゃなかった混トイレ?はまずいが、同性ならばOKなのか!?
よほどその女性が緊急を要していただけかもしれないが、私が入っている間にも、いつまた別の女性が入ってくるかと気が気でなかった!どこで驚かされるかわからない、まったく。

Ngoを出発して、オヨ Oyo という町を過ぎる。ここは、コンゴ共和国現大統領のサスーンゲソ氏の出身地だそうだ。人口も少ないのに開発がすすんでいるそうで、たしかにガソリンスタンドやビルなど新しい建物が建っている。本人が微笑んでいる巨大な看板が町にすっくと立っている。隣国のガボン共和国のボンゴ大統領の夫人は、サスー大統領の娘だそうで、イトワさんが、「あそこの丘の上の白い家はボンゴ夫妻の家だよ。まわりの畑も牧場もみな大統領の御料地だよ」と指さす。

さらにバスは進む。風景は、だんだんと草原から森に変わってくる。森の密度が増してきて、ヤシやパイナップルの木などが生えている。が、木々はそれほど高くはない。

オワンド Owando に着いたのが15時。バスを乗り換えるらしい。J夫は、初めて北部に来たので緊張する、と言う。「内戦時なら殺されたからね」 ・・・そんな背景があったことも忘れていたほど、町はのんびりとして、草原と森にかこまれ、ゆったり流れる小川にはカヌーが浮かんでいる。
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バスの乗り換えまで時間があったので、ぶらぶら歩いてみる。地方にはスペースの余裕があるせいか、家々も大きい。植民地時代のヨーロッパ風家屋があるとおもったら、入り口にガードマンが立っていて、市の公人の家だと言う。ブラザヴィルを出てから、カメラは用心してなるべく出さなかったが、恐る恐る聞いてみる。「きれいな家なので、写真撮ってもいいですか?」若いガードマン(兵)は、にっこり純粋な笑顔で「そんなこと今まで聞かれたことなかったから、わからないけど・・・人が住んでいる家だし、ダメだとおもうよ」にこっ。
ごもっとも、だし、その笑顔に打たれて、あっさり写真はあきらめる。

Owandoを出たのが16時半。ここで乗り換えたピックアップ・トラックがまた、びっくり仰天モノだった。
バスからトラックに乗り換えたのは20名弱。しかしトラックは1台。しかも、後ろから見ると、Mitsubishiと書いてある荷台だが、車の部分はToyotaだった。
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つづく。
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by tytomoyo | 2007-05-24 19:01 | 小旅行 1.

アフリカ文学(の周辺)

d0052090_16205836.jpgブラザヴィルの郊外にある、親戚の家を訪ねた。ここは、J夫の一番上の兄一家が住むはずで建て始めた家だが、97年の内戦後、兄一家はアメリカのマサチューセッツ州に引っ越し、現在は遠い親戚一家が住んでいる。

「おう、よく来たなあ、元気か」と歓待されて家に入ったJ夫は、部屋に入るなり、「あ、タカノさん!」と叫んだ。
タカノさん、というのは、J夫が日本で留学生だったころからの友人で、かつて早稲田大学の探検部の隊長としてコンゴに恐竜を探しにきたことがある人だ。(・・・・)
え、こんなところにタカノさんが?それも、あり得ないことでもない・・と一瞬おもったのだが、よく見ると、部屋の真中の壁に、タカノさんとJ夫の一番上の兄が握手しながらこちらをにっこり見ている拡大写真が、でんと飾ってあった。
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その家の人から詳しく写真の話を聞くことはできなかったのだが、どうやら、内戦の混乱の中でたまたま手に入った兄の写真がこれで、その家の人は戦時中に家を提供してくれたJ兄に感謝してずっと居間におまつり(?)してある、ということらしい。

コンゴでたまたま訪ねた家に、(J兄のついでとはいえ)日本人の写真が飾ってあるなんて、感慨深いというか、シックリこない、というか。これは、帰国したらすぐにタカノさんに報告せねば。コンゴでは、どこの家でも居間の壁にイエス・キリストや、マリアさまが飾ってあるが、ここの家はJ兄とタカノさんだったよ、と。。。

コンゴ大学の物理の教授だったJ兄は、いまはアメリカの大学で教鞭をとっているが、実は小説家でもある。小説のほうは、フランスなどでいくつも文学賞をとっており、北欧をはじめ十何カ国語に訳されているそうだ。昨年も、最新作がアメリカで映画化されるとのことで、ロケが始まったと聞いているし、小説のほかに戯曲も書いていて、最近もパリで上演されている、とパリでJ弟からそのチラシをもらったばかりだった。

かつてコンゴに恐竜を探しにきたタカノさんは、お金も食料もなくなって命からがらJの実家を訪ね、救出されたことでJ兄と知り合う。(とJ兄弟間では伝わっている。) 
その後、タカノさんは、日本でJ兄の小説を邦訳し、小学館から出版した(96年頃)。二人の写真はそのとき東京で撮ったものだとおもう。タカノさんは、その後は次々と、世界各地を探検しては本を執筆し、今では売れっ子作家だ。

私も、J兄の小説をタカノさんの邦訳本で読んで、すっかり小説家J兄のファンになった。こんなすごい作家が家族だなんて!と胸をどきどきさせた。その後、マサチューセッツに引っ越してきた兄一家と家族のつきあいになってからは、この作家の才能は、いつ、どのようにほとばしりでるのか!と模索して、かれこれ十年。。。 家族とはオソロシイもので、近づけば近づくほど、私の中ではこのナゾの義兄、小説とのギャップが広がっていくのである。まあ憎めないオジサンではあるのだが、奥さんの尻にしかれたりしている、のほーんとした長男で、100キロも運転してから目的地の住所を持ってくるのを忘れたことに気づいたりする、かなりメイワクな家人である。J母に至っては「まったく人のことばかり書いて・・・自分のことも少しは書けぃ!」とまで言われてしまっている、自身が話題のつきぬ人物でもある。

が、しかし、家の外では、ここ地元コンゴでも、たしかにセレブな義兄であった。ブラザヴィルでも地方都市でも、Jが初対面の人に名前を名乗ると、「あなたはもしかしてあの作家の・・・」「はい、弟です」とめちゃめちゃ受けがよくなる。旅行中もイトワさんが、私たちをいろんな人に紹介してくれたが、「。。。名前を聞けばわかるでしょうが、この人は弟で・・」「おおーっ」と高い確率で知られていて、彼の○○という小説はいいね、などと話がはずむ。

J兄の小説は、社会小説でも、歴史小説でも、私小説でもない。特定の社会的メッセージや、民族や国の生々しい苦難や歴史を代弁している、というのでもなく、アフリカに伝わる民話や伝承を世界に紹介した類でもない。独特の文学世界を展開している。これはたしかにアフリカ世界ではあるが、しかし地球のどこにいる人にも現代の読み物として読めてしまう。

ルポルタージュやドキュメンタリーや私体験でなく、「物語」として伝わる真実、というものは存在する、とあらためて思う、そんな文学だとおもう。

J兄本はこちら。
「世界が生まれた朝に 」(単行本) エマニュエル ドンガラ (著)
http://www.aisa.ne.jp/takano/books_page/dongala.html


タカノさんのコンゴ探検本。「幻獣ムベンベを追え」 (集英社文庫) 他にも著書豊富。(J兄弟との交流を書いた「異国トーキョー漂流記」 (集英社文庫)も、いつのまにか出版されていました。)おもしろいです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087475387/aisa09-22

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by tytomoyo | 2007-05-24 15:30 | アフリカ文学(番外編)

ゴスペル(賛美歌)のある日常

アフリカ大陸の中でも、コンゴは特に「リンガラ・ミュージック」という音楽ジャンルで知られている地域でもある。エレキ・ギターに特色のあるポップでダンサブルなリズムとサウンドは、アフリカやヨーロッパでもヒットを飛ばしている。ブラザヴィルでは、町じゅうのレストランや店、屋外ライブステージのスピーカーから、リンガラ・ミュージックは音量超「大」で流れている。

ただ、90年代まではリンガラ・ミュージック一色だったコンゴでも、現在ではテレビをつければ必ずゴスペル音楽が流れるようになった、という。コンゴやナイジェリア、コートジボアールなどのゴスペル・グループが多い。リンガラ・ミュージックをはじめ、アフリカのリズムとサウンドを取り入れた、「アフリカン・ゴスペル」である。

現在の私たちが親しんでいる、アメリカの「ゴスペル・ミュージック」自体、歴史をたどればアフリカン・サウンドなのであるが、「今」新しい現象として、アフリカでゴスペル・ミュージックが広がっている、という。それは、そのスピリットが、アメリカを始め世界各地でわきあがっている「リバイバル」(神、精神や自然に復帰する)現象に共通するもので、アフリカの国々も例外ではない、とアフリカを訪ねたアメリカ人から聞いた。そして、そのゴスペル音楽の逆輸入とカスタマイゼーションは、このアフリカの濃い~音楽世界ならではの強烈さである。

街では、教会だけでなく、そこここで即席のステージや集会がある。大勢で歌っているコーラスが風にのって響いている。カトリック教会の静かなハーモニーの歌声が流れているかとおもえば、リンガラ・ミュージックの影響を色濃く受け、ライブバンド風にアレンジして熱狂しているゴスペル・バンドもある。
そこに集まっている人々もさまざま。小さい子供からおじいさん、おばあさんまでリズムにノリノリかとおもえば、ひたすら祈りをささげている人、歌いながら子供をあやしている人、ただじいっと聴衆を見てる人、こんな音量のさなかでぼーっと考えごとをしてる(みたいな)人、携帯電話で話している人など。。。 ここでは、神を賛美すること、歌うこと、音楽に囲まれることは日常の一部で、決してイベントではない、生活の一風景なのだなあとおもう。

コンゴでは97年に内戦があった。政権の交代にともなうクーデターから起こった戦争で、ブラザヴィルでも多くの人が郊外や地方、または国外まで避難した。それ以来もう使われていない政府の建物や、まったく修復のされていない町並みが、戦後の様相を呈している。人々もかつては街中で政治論議するのがさかんだったそうだが、いまはもう政治に熱意を持てず、その代わりとでもいうように賛美歌が広まり教会が拡大した、というのも世相を反映している。

週末に、隣のコンゴ(ザイール)からゴスペル・シンガーが来ての「クルセード」コンサートを見にいった。午後から始まって、延々夜更けまで続く。写真だと伝わらないですが、スピーカーからの音量がものすごい(!)。そして、賛美歌のあいまに、牧師や伝道者もメッセージをがんがんしゃべりまくり、いえ、お話しになられる。エネルギー全開の説教である。聞いている人は「んーんっ」と声をだしてあいづちをうち、「ハレルヤ-」「アーメーン」とおもいきり応答する。

言葉と音楽でメッセージが伝えられ、リズムと身体と声で応答する。体で考えるってこういうことかなあとおもう。神やスピリチュアルなことだからこそ、頭だけで考えない、体全体で受け止めることがもっとも自然体のようにおもえる。これがまさしくゴスペルの原点です。

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by tytomoyo | 2007-05-16 11:44 | ゴスペル(賛美歌)のある日常

マルシェ(市場) 2.

日の出と同時にマーケットが開き、あらゆる品物が売られる。食料品から日用品、衣料品、靴、携帯電話のプリペイドカード、車の部品、工具、お茶、コーヒー、薬草や秘薬?、大きなカゴの中のニワトリ、焼き菓子、蜂蜜の量り売り、焼き鳥、豚の丸焼き、・・・・。マルシェは、現地の生活の様子がうかがえる博物館のようなもの。
しかし、のんびりウィンドーショッピングに浸る雰囲気は、あまりない。買い物客も多いが、売り子もこんなに、とおもうほど大勢いて、丁々発止の値段交渉が繰り広げられている。

私が、布地やPagne (腰布)が欲しいと言って連れて行ってもらったのが Marché de Potopoto と、Marché de Mbaka という2つの市場。

Pagneという1枚の四角い布を巻きスカートのように着けるのが、ここでは一番ラクで、涼しくて、気候にあっている。ここでは女性は足首までの長い腰布、男性も長いズボンの人が多い。こんなに暑くても短パンや短いスカートで足を見せている人はあまり見ない。慣れると、ジーンズやスカートをはくのがナンセンスに思えてくる。

私は、日本でも着られそうなワンピースやスカートを買っていこうと既製服の店を見ていたが、一緒に買いものに行ったD子とM子に、「既製服なんて高くて、いいのがないわよ。生地を買って、テイラーに作ってもらったほうが、ぜったいいいから」というので、Pagneのほかにも、布地を目の廻るほど見て歩いた。

布地を売る店が、既製服の店以上に多い。店の内外の壁一面にあらゆる色彩、あらゆる柄の布地がディスプレイされている。D子たちが見立ててくれるのは、2 tons (=ツートンカラー)と呼ばれる、同系色の2色の濃淡が逆になった二つの生地がセットになったもの。ここの人たちは、自分は原色のハデな柄のものを着ているのに、選んでくれるのは意外とシックなのが多い。そして、生地にもブランドがあって、少し高くても質のよいほうがいい、と生地の隅に印刷されているブランド名を必ずチェックした。

あとは、ボタンやビーズなどの飾りも見ながら、あれこれデザインを考える。
その生地をテイラーに持っていく。デザインを説明するために、いくつか見本の服を持っていく。

テイラーの店ももまた、美容室のような存在で、人がおしゃべりしながら長居する。私のときも、M子の近所の人やら友達やら子どもやら、数人で連れだってテイラーに行った。私の腕まわりやら首周りやら、あゆる採寸をしているあいだも、私とテイラーを囲んで皆勝手におしゃべりしている。

そうして3日後には、4着!の服が完成した。

たら~ん 
        
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d0052090_0243197.jpg 一反、といえるほど量が多い布地。一種類の布地から何着も服が作れてしまう。

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by tytomoyo | 2007-05-16 00:31 | マルシェ(市場)2