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コンゴ入国ビザ (パリにて)

日本にコンゴ共和国大使館がないので、コンゴ入国ビザは経由したパリのコンゴ大使館で申請した。<追記:2013年より、東京にも駐日コンゴ共和国大使館(03-6427-7858)がオープンし、ビザ申請もできるようになりました。>

パリの滞在は3日間だったから、東京からパリに着いたその朝すぐに、大使館に行って申請し、2日後までにビザを発行してもらう、という手はずだった。

大使館は、凱旋門近くのパティスリー「ルノートル」の何件か先のビルに入っていた。

小さなオフィスの入り口に、コンゴ人が何人も出入りしていて、中に入ると、銀行の窓口のような壁の向こうに、コンゴ人職員たちが慣れた手つきで机に向かっている。コンゴ大使館なんだから当たり前、だろうが、日本では同郷の人間にあうことなんてめったにない夫は、こんなにコンゴ人が普通にいて、さぞや感慨深いだろう・・・とおもっていたら、J夫はいたって無関心な様子で、「あのー、この紙に書くんですね、ムッシュー?」とよそよそしい。まあこんなところで感慨にふけっている場合ではなく、ビザをもらわなくてはいけないんだ、と私も我にかえる。

鼻めがねをかけた職員が、「オーララー、ムッシュー、これはどういうこと?」と私とJ夫の2枚の申請書を片手でひらひらさせる。「出発2日前に申請に来るなんて、時間がないわね。」フランス人なみに冷ややかなお役所口調で、マダム・コンゴ人が言う。「領事に説明に行ってください、この裏の2階の奥の部屋です。ヴォワラ!」とパスポート一式、返された。

「なんで?即日発行の場合はエクスプレス料金、て書いてあるし、2日前じゃいけないの?」と私は後について歩きながら、J夫にクエスチョンマークを浴びせる。と、いきなり振り向くと、J夫が言った。「なんで?って聞かないでくれる?これから、コンゴに着いても、ずっと!」
思えば、答えのないコンゴ的フシギとの遭遇はここから始まっていたのだった。

2階の部屋の領事は、マホガニー製(かどうかわからないが)の机の後ろにすわっている、四十代くらいのしゃれたスーツの人だった。「ビザ?」と最小限の言葉で、かったるそうに私達を部屋に入れ、パスポートをめくり、「出発まで日がないのはどうして?」
「はい、旅程がどうしてもあわなくて、結局3日間しかなくて・・・」と、J夫。え~、旅程があわないどころか、最初からパリは最小限の日にちしかとってなかったけど?ビザは即日とれるからまず問題ないと、大使館に電話したときには言われたのだ。

が、領事は、「我々は慎重に審査してビザを発行しているのだ、急がせるとは何事だ」、というようなことを眉間にしわを寄せながら、ぶつぶつと、でも半ば事務的に言いながら、わりとすんなり申請書にサインをし、「旅程の事情により急いで発行」というような但し書きを加えた。これは・・・コンゴ当局と交わす、いわば儀式?か、と私もその文化をうっすらと理解し始める。

私達はパスポート一式と申請書を受け取って、後ろ足で部屋を出て、窓口にもどった。
マダムはサインに一瞥すると、「計140ユーロです。明日の午前11時に受け取りに来て」。受け取ったユーロ札を丁寧に折って金庫みたいな箱にしまい、私たちのパスポートはパラッと机の脇に置いて、同僚のほうに立っていった。
そのパスポートが明日までそのまま放置、という図がふっと私の頭をよぎったが、疑問はもたないことにして大使館をあとにした。

翌日11時、私達は30分くらい待たされたものの無事ビザをもらうことができた。待たされた間に昨日机に置いたパスポートにビザのスタンプを押して書き込んでくれただけかもしれない、とまたふっと思ってしまったが、何はともあれ、めでたくコンゴ滞在ビザを受け取りました。ビザの有効期限は、航空券に記載どおりの到着日から出発日までのきっかり2週間でした。

(注:アメリカ市民でもあるJ夫は、今回フランス出入国の際の手間を考え、コンゴのパスポートでなくアメリカのパスポートで旅行したため、コンゴのビザも必要だったわけです)

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by tytomoyo | 2007-03-30 17:41 | 入国ビザ(パリにて)

コンゴのカフェ

J夫の甥のC男が、少しは観光地らしいところを訪ねよう、と連れて行ってくれたのが、コンゴ川沿いにある「マミワタ (Mamiwata = mammy water = 人魚)」 というレストラン。いかにも植民地時代に旧宗主国のひとがつくったというかんじ(その通りなのだが)の、コロニアル風のオープン・テラス。コカ・コーラが町のカフェに比べて3倍以上の値段である。川沿いの景色を眺めるには絶好の場所で、白い壁の建物に太陽の日差し、テラスにはパラソルつきのテーブルに生成りのコットンのテーブルクロス、籐のソファに大きいクッションがいくつもならべてある。ハイビスカスやバナナの木にゆったりと囲まれ、川のはるか向こう岸には都市キンシャサのビル群の摩天楼がうっすらと見える。

あとで、C男の奥さんのD子が、「え、どうして私を連れて行かなかったのよ、この写真のここに私が座ってるはずなのよ、こういうおしゃれなレストランに行くときには!」と憤慨していた。たしかにJ夫もC男も、おしゃれなレストランに全然興味なし、という顔で写真に写っている。まわりのテーブルにいたのは、出張で訪問中といった風情の外国人、駐在中の家族、役人かビジネスマン風の男性。地元の一般人は、いなさそうだった。

ブラザヴィルのいちばんいい場所にあるレストランが外国人御用達、というのは、東京でいえば、皇居の脇の唯一のレストランが外国人用、みたいなかんじか。C男やJ夫でなくとも、地元人がおもしろくないのもわかる気がする。

「マミワタ (Mamiwata)」がヨーロッパ人御用達なら、その川沿いをずっと上流に登っていったところにある「レ・ラピッド (Les Rapides)」は、もう少しカジュアルな観光名所だ。同じく、コンゴ河を見渡すリバーサイド・カフェ。ブラザヴィルの領事館のアメリカ人も、「ランチによく行くよ」と言っていたこのカフェは、地元の人もたくさん訪れる。コンゴ人の生活の一部ともいうべきリンガラ・ミュージックが、ボリューム大でかかっているレストランだ。

私達は、Les Rapides の二階のテラスで、ピーナツやエビの串揚げをほおばりながら、カフェにやってくる人たちのファッションを見物。ほとんどの女性は普段着でも超カラフルだが、人前にでるときのおしゃれのしかたはハンパじゃない。ものすごくたくさん生地を使ってそうなドレス、ハイヒール、バッグ、いろんな装飾のついた帽子、つけ毛、カツラ、メイク、ネイル・・ 

特筆すべきは、男性で頭から足の先まで超キメてるひとたち。地元のひとは、「sapeur サッポー」と呼んでいる。「ほんまにこの暑いのに、スーツ着込んで、なに考えてんねん」と言いながらも、皆サッポーたちを見物するのが大好き。イタリアやフランス製の生地でつくったスーツに、ハット(帽子)をかぶり、日が暮れても気にせず黒いサングラス。ぴかぴか光る靴。ちょっと見ると、パリやNYのジャズ・ミュージシャンに見えなくもない。なにより、パリのファッション情報に敏感なひとたちだ。面白いのは、パリで人気の「Takeo Kikuchi」や「Yoji Yamamoto」「Kansai Yamamoto」など、日本のデザイナー・ブランドは皆知っている。

サッポーたちも、人に見られることが目的でおしゃれしているので、人の目など全然気づかないフリをしながら、実は人の視線を十分浴びるように、カフェの中を行ったり来たりする。たまに度をこして、ジャケットの前をひらひら開けて、内側のブランドのタグをわざわざ見せる、わかりやすいサッポーもいるらしい。

残念ながら、群集の前でカメラを向ける勇気がなかったので、人々の写真はありません。


Mamiwata
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by tytomoyo | 2007-03-30 17:27 | カフェ、レストラン

大人はエラい

D子が、玄関先で大声で誰かを叱り飛ばしている声が聞こえる。ここでは、そもそも普通の会話が、叱り飛ばしているような口調なのだが、耳が慣れてきた私にも「ん?」とおもわせるような声に、やじ馬好奇心がわいて、つっかけ履いて裏から外に出てみる。

D子の前に、二人の男子が立たされて、説教されている。14~5歳くらいだろうか。まだ童顔だが、背だけ伸びてしまった、という年頃のその二人は、D子より大きい図体をおもいきり縮めて、目をぱちくりしながら、D子に叱られている。あとで聞くと、近所に耳の聞こえない女性がいて、彼らは通りがかりにその女性をちょっとはやしたてていたらしい。D子はまだ20代の若い母親だが、自分の3歳の娘を叱るのと何ら変わりない口調で、このデカイ少年たちを叱りとばしていた。近所のD子の友達もそれを聞きつけて来て、そうよそうよ、てな感じで傍にいる。ほかの通りがかりの人は、特に気にもせず通り過ぎてゆく。無関心なのでなく、ここでは大人が子供を叱るのは当然、なのだ。子供もまた、反抗もキレたりもせず、ぴゅーと大人の言うことに従う。

J夫も、ああアフリカはいいなあ、といいながら、「おい、子供、あの角でベニエ(バナナ味ドーナツ風の揚げ菓子)買ってこい」と小銭を渡して、近所の子供を使いに出している。
こんなの日本でいえば昭和初期?の風景だろうか。

学校でも、教師は「ムチ」を持っている、と話に聞いた。が、実際の学校に行ってみたときには、中学生くらいの子達が先生の背中にまとわりついたりして、フレンドリーな感じだった。教室風景は見ていないのでわからないが、少なくともここではまだ教師や大人に「権威」があり、生徒が「従順」である、ということらしい。

余談だが、私達がアメリカに住んでいたときによく聞いた話。アメリカに住むアフリカ人の家庭では、子供が十代の反抗期になって手におえないと(アメリカ版反抗期はハンパじゃなく過激だ)、アフリカに送るぞ、といって本当に1年アフリカの親戚などに預ける、すると生まれ変わったように良い子になって戻ってくる、という定番の話があった。実際、送られた子は、ほんとうに生まれ変わったように良い子にしつけられて、戻ってきた。

その子が言っていた。大人や教師に「敬意を表する」ということにショックを受けた、アフリカでハンバーガーが食べられないことよりも、ショックだった、と。「そりゃ先生こわいよ。あんなコワイ先生忘れられないよ!」 でも、なんだか楽しそうに、アフリカン・スクールを思い出していた。

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by tytomoyo | 2007-03-30 16:57 | 大人はエライ

写真はノン

連日、近所や親戚、友人の人々に次々紹介されたり話したりした。
誰もが満面の笑顔で、「よく来たね~、アフリカは暑いでしょ、不便でしょ」と、歓待してくれたり心配してくれたり、とてもフレンドリーであたたかい。

食事中だろうが、洗濯中だろうが、ひっきりなしに人が訪ねてくるこの家では、誰もそのたびに自分のやっていることを中断したりしないのだが、客人も、「入ってそのへんに座ってて」と言われて、居合わせたほかの客人と話をしたり、テレビを見たり、忙しいならまた来るよ、とこともなげに帰っていったり、実に自由で遠慮がない。それに混じって「○○ちゃん、遊びましょ」と小さい子供も大きい少年達も、この家の子供を訪ねてくる。ごく自然な近所づきあいがある。私に対しても、アフリカはどう、日本って地震があるんでしょ?と話の内容が変わるくらいで、基本的に近所の人と接するのと変わりなく接してくれて、とても親しみやすい。一度会った人は、次の日にあうと「オハヨー元気?」と気軽に話しかけてくるくらい、「ガイジン」への抵抗感をかんじない。

しかし、それが個人のつきあいレベルでなく、一般大衆レベルとなると話がちがう。

ガイジンが何しにきた、とでも言いたげなその一般外国人に対する表情は、人が集まるマーケットでビデオ・カメラをむけたとたんに炸裂した。

「それ、ビデオとってヨーロッパで売るんでしょ」「おい、写真とるな!」「むこう行け~」
こういう言葉をコンゴ人ははっきり、目をみて大きな声で言う。そこは、なにか思ってもガイジンにはっきり言えない日本人とは国民性が違う。

「ご、ごめんなさい。。写真ダメだって」とおののく私に、連れのD子はこれまた驚くような対応をする。
「どこがヨーロッパなのよ、この人、誰だと思ってるのよ、私の家に来てるウチの親戚よ。あんたたちの写真とって何がわるいのよ!」ともっとおののくような勢いで反撃する。私としては「いえ、別に人をもの珍しそうに撮ろうとしたわけでなく、活気あるマーケットの様子を全体的に撮ろうと・・・」とちゃんと説明したいところだが、D子と機関銃のような口論を2~3分交わした人は、「じゃあ、撮るならちょっとこのアングルで撮ってよ、なんちゃって、ハハハ!」とご機嫌になっていたりして、D子も「さ、好きなように撮っていいわよ」と、ひと片付けしたような口調で私に報告する。

2-3日も滞在するとわかるのだが、こういったコンゴ人のやりとりは口論、というより、コンゴで口がきける人なら普通にする会話である。売り言葉に買い言葉、というのはここでは、「けんか」ではなく「挨拶」のようなものである。思っていることをハッキリ言う。それがもとにカチンとくる人は、またハッキリ言う。しばらくハッキリ言い合うと、だんだんすっきりしてくるのか、いまコワイ顔でかみつきそうになっていたのにもう忘れて、けらけら笑っている。どんな会話もいわば挨拶なので、とにかく交わさなければ、こちらも失礼をしている気になる、というのがフシギの国コンゴである。

マクア(Makoua)という地方に小旅行したときにも、道路から見える川のせせらぎと木々の風景がのどかだったのでカメラを構えると、数百メートルは離れたところで川で水浴びしている、米粒にしか見えない数人が、「ガイジンが、なにしてんだよ~ぉ~ぉ~」とこだまするくらいの遠さから声をかけてきた。

私の横でJ夫が「景色がきれいだから写真とってるんだよ。心配するな~ぁ~ぁ~」とこだま声で返す。「やめてくれよ~ぉ~ おれたちハダカなんだから~ぁ~ぁ~」 
だから、写真でも米粒ぐらいでハダカかどうかわからないって。
J夫と私は、風景も撮ったし、行こうと歩き出すと、水浴び少年か青年たちは、まだ「○X☆○X☆ぁ~ぁ~ きゃあきゃあ」と叫び声とも笑い声ともつかぬ会話を続けている。コンゴでは、なんらかの挨拶は返さなければいけないので、J夫は「うん、そうだよ~ほんとにそうだよ~、ジャーネ~マタネ~」と日本語入りで叫ぶと、「わーははは、なんとかかんとか~」とまた声が返ってくる。

ほんとにエネルギーのいる国だ。

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by tytomoyo | 2007-03-28 15:47 | 写真はノン

太鼓スクール 演奏編

太鼓作りを見にいった学校に、翌日レッスンを見に行く。

あの料理していた普通のおばさんや娘たちが、タムタムを自在に持ち替えたり、ステップを踏んだりして、男顔負けの演奏を披露する。考えてみても、女性が、それもこんなに大勢でアフリカの太鼓を演奏しているパフォーマンスは見たことがない。
Tさんが、教師兼指揮者兼シンガーとなって、いろんなリズムや拍子の叩き方をやっていく。

私が所有している、ローランドの電子ピアノにもいろいろなリズムが内蔵されているが、いつも困るのは、アフリカン・ソングを演奏するのにちょうどいいリズムがない。16ビートでもなければ、ヒップホップでも、サンバでもない。

その名前のないリズムを、もちろん楽譜もなしで、T教師が「ン、ン、ア、ア、タターン、ン、タ!」と口と手拍子で表現すると、皆が特に表情も変えず、その通り太鼓で再現する。

一緒に見ていたJ夫の幼なじみのS男に、「すごいね」と思わず言うと、「たぶん君たちは、太鼓を『いつ』叩くか、って考えるんだろうけど、アフリカ人は、『どういう音がするか』を聞いて弾くんだよ。手なんて見てないよ」と説明してくれた。
そっか。体で弾く、っていうことなんだ。ためしに目をつぶって音だけ聞いてみるが。。。とても再現できそにない。

太鼓の学校は、J夫の実家からすぐ近所の住宅街にあって、演奏は建物の外の広場でやっているので、太鼓の音が鳴り響く。通りがかりの人や近所の子ども達が自由に入ってきて、リズムにあわせて踊ったりしている。子どもといっても、やっと歩きだしたばかりかと思うような1歳くらいの子から、小学生くらいの子らがまとまって、腰をふりふり踊りながら、音楽に没頭している。やがて熱狂して、はしゃぎあったり、走り回ったりしては、T教師に、「こらあ、もう出てけ、出てけ」と追い出され、門の外から、再度侵入をねらっている。

午後から始まったレッスンは日暮れまで続いたが、途中カリンバ(Kalimba=『親指ピアノ』)との共演や、歌い手も出てきて、見ごたえ十分だった。見学フリーでこれだけ楽しめるなんて、東京では、2~3000人収容できる最高級の大ホールで、お客さんは一人10,000円も払ってアフリカの伝統音楽コンサートを見に来るのよ、と言ったところで、この人たちは誰も信じてくれないだろう。J夫は、がんばって、是非、東京渋谷の文化村の世界音楽フェスティバルにいつか出演してください、と真剣に激励した。

それにしても、昨日はどっしり腰をかけて、鍋をかき回していたオバサンや娘っこが、いま衣装もあらたに颯爽とグループ演奏するその変わり身には、目を見張った。さしずめ伊賀村で農民を装っていた女忍者というべき変貌だった。(?)

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by tytomoyo | 2007-03-28 15:10 | アフリカの太鼓2

太鼓スクール 製作編

太鼓の学校を訪ねた。
ここではコンゴの「Ngoma ンゴマ」と呼ばれる太鼓を製作し、演奏を教えている。
アフリカの太鼓は「Tamtam タムタム」とか「Djembeジェンベ」とか呼ばれるが、地域によって名前も形も違う。コンゴの「ンゴマ」は、すらっと背の高い細身の太鼓だ。 (コンゴでもタムタムとも呼ばれます。ジェンベというのはセネガル、マリなど西アフリカでの呼び名だそうです)

「いまちょうど一本(一台というのか)太鼓を仕上げるところだ、」と、太鼓の教師でもあるTさんが、重そうなバケツを手にして校舎らしき建物から出てきた。

バケツには黒っぽい物体が水一杯に浸してあって、ハエがすごい勢いでたかっている。と思ったら、その黒い物体は「鹿」の皮とのこと。バケツから水のしたたる鹿の毛皮を引き揚げ、広げると、ハエの大群も一緒に大移動する。
何日か水に浸してあった鹿の毛皮を、太鼓に張る作業だった。
丸太のようなシンプルな形の「ンゴマ」を立てて、上に鹿の皮をかぶせ、Tさんはかみそりの刃のようなとてもよく切れる刃で、シャッシャッと毛皮の堅そうな毛を剃ってゆく。

「太鼓のボディは木でできている。かぶせた皮は動物の皮だ。太鼓全体で、森を表しているわけだ」と言いながら、毛皮の毛を剃っていく。かみそりの下からは、意外にきれいなアイボリー色のスキンが現われてくる。ハエの大群は、剃り落とされた毛のほうに移動して、皮の表面はみるみる生まれ変わる。一枚のうすい皮となったものを太鼓の上から覆い、太鼓の側面に一本、釘を打ちこむ。そこから対角線上の端を寄せて、ひもで縛った重石をつけると、皮はしなやかに張って、いかにも弾力のある太鼓の面にみえてくる。
そこからの作業は、男たちが3、4人かかって、「せーのっ」に似た掛け声で太鼓の周囲に皮を引っ張り、太鼓の面をピンと張らせる。

「明日は、女性の太鼓レッスンがあるから見にきたほうがいい」とTさんが言う。
女性の、というところを何度も強調して、どう、意外でしょ?というような口ぶりだ。あそこにいる女性達も叩くんだよ、と家の外でバーベキューしている(といってもそこが日常の調理場のようだが)、数人を指さす。見ると、20代くらいから60代くらいまでの女性たちがいて、子供をあやしている女性もいる。普通の大家族のようにしか見えない。

翌日、太鼓のレッスンを見にいってその意味がわかったのだが、アフリカの太鼓を女性が演奏するのは極めてめずらしい。それも大グループで太鼓オーケストラである。Tさんは、ちょっと前まで女性は太鼓を演奏しちゃいけなかったんだ、とこのコンゴの伝統楽器について教えてくれた。「女性が太鼓にさわったら穢れるとか、良いものは女性に触らせない、とかそういうものはほかにもあるんだが。女性が米を食べると目が飛び出る、とか。いまでは時代は変わって何でも平等だからね、ははは。」 

「それって、日本もありますよ。相撲は女性はダメだし。秋茄子は嫁に食べさすなっていうし。」
Tさんは、日本の相撲は知らないようだったが、ナスは食べたらダメ、というのには、真底から同情してくれているようだった。

太鼓の皮を張って、釘で打ち付け終わると、余分な皮の端を切り取ってヤスリをかける。ほかの太鼓も出してきて、表面を中心に向けて円形に並べると、焚き火をして太鼓のチューンアップを始める。

釘を打つ頃から、職人が3、4人増えたが、中には「こいつは、プロのミュージシャンだ。パパ・ウェンバのバンドで太鼓やってるんだ」という人もいた。「え、あのパパ・ウェンバの?」ほんと?という反応には慣れているのか、すぐそこにCDを持っていて、バンドの一員として自分の写真と名前が載っているのを「ほら、」と見せてくれた。

そして、チューンアップした太鼓をならべると、Tさん、パパ・ウェンバのドラマー、その他3人で、夕焼けのかなたまで届くような伸びる音で、作りたての太鼓の音を披露してくれたのだった。

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by tytomoyo | 2007-03-27 17:52 | アフリカの太鼓

マルシェ(市場) 1.

にわとりが「コケコッコー」と正しく鳴く。それも夜が明けると同時にきっかり鳴く。それを合図に街は一気に動きだす。朝の5時過ぎには店が始まるらしく、家の裏の道から始まるマルシェ(マーケット)に賑わいの気配が感じられる。(ちなみに、ニワトリは日が沈むまで何時であろうと、エネルギー全開で「コケコッコー」といちいち正しく鳴く。誰かが、「コンゴのニワトリは、時報のかわりに鳴くんだ」と、うっかり信じてしまいそうなことを言っていた。)

マーケットといっても、路上に屋台を出して果物や野菜を置いただけのものや、コーヒーを洗面器かバケツのような器から缶詰めの缶ですくって測って売っている店、肉やニワトリをむきだしで吊るして売りさばいている店、などその場かぎりの青空市場である。朝の6時に、おいしそうなにおいを漂わせて、焼き鳥や揚げドーナツを売っている女性たちもいる。

家の人たちは、朝早くだろうと食事どきだろうと、それぞれ用事で出かけたり、超マイペースなので、そろって食事をするということがあまりない、ということがだんだんわかってくる。初日、お母さんとは感激の再会、家のひとたちとも感激の対面をするかと思いきや、結局その夜は電気がつかなかったせいで、ランプのもとでの対面はいまいち顔が見えず、朝起きてみると、皆それぞれ出かけたりしていて、なんのことはない、コンゴの日常も東京とかわらず、人々は皆忙しい。

一応毎日食事をつくっているのは、お母さんかお姉さんかお嫁さんだが、税務局に働いているお姉さんは、コンゴの別の都市ポイント・ノワールに1週間出張して不在だし、お嫁さんのD子は、掃除したり3歳のS子の面倒を見たり十分忙しそうで、朝食くらいつくってあげたいが、いったい何をつくればいいかわからない。お姉さんの17歳の息子C太は、朝からヘッドフォンをテレビに差し込んでラップを踊っているが、朝ご飯は?と聞くと、「いや、僕はBouille(とうもろこしの粉でつくった、おかゆ)を買いに行くから気にしないで」と言われる。いえあの、私たちの朝ご飯は・・。

私達の毎朝の朝食は、そのマーケットで売っているベニエ(すりつぶしたバナナ入りの丸い揚げドーナツ)とコーヒーに、いつしか決まってきた。到着した翌朝、J夫はすっかり現地モードで、「朝なに食べる?僕はベニエ!」と嬉しそうに買いに出かける様子。僕は、って、ここでは朝なに食べるのが普通なんだろう?「ベニエがいいよ、ベニエ」 ベニエ好きのJ夫の要求が嵩じて、マーケットでベニエを売っている昔からの友人らしいV子さんが、翌朝からベニエを山盛り宅配してくれるようになった。

近所のマルシェは食べ物が中心の市場で、ブラザにはほかに、衣料品や雑貨店が多くあるマルシェ ド ポトポト(marché de Poto Poto)、お土産屋(外国人向け)のあるマルシェ ド プラトー (marché de Plateau)などたくさんの市場がある。車の通る道の両側には、電気製品や車の部品、雑貨屋などが色とりどりの看板を掲げ、どれもこれも「手作り」といった字体とペインティングで描かれている。

市場で興味があったのは、食べ物と衣服だが、そのほかに私は、コンゴの石鹸が気に入った。
家庭では、石鹸で手を洗う、という習慣が根付いていて、食事の前に、D子が必ず、小さいバケツに水を入れ、石鹸とコットンの手拭を持ってあらわれる。皆、必ず石鹸で手を洗ってから、食事をする。その石鹸が、いかにも「殺菌」作用が強そうなのだが、以外に香りもよく、洗ったあとも手がしっとりして、とてもいいのだ。フランスで気に入っている「マルセイユ石鹸」を買いだめしたのだが、なんと、コンゴでマルセイユ石鹸にも匹敵する好みの石鹸があらわれようとは、うれしい驚きだった。

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by tytomoyo | 2007-03-26 17:58 | マルシェ(市場)

ムンデレかシノワーズか

日本に住んでいる外国人から、「外国人というだけでジロジロ見られてやだわ」という言葉をよく聞いたのはもう一昔まえのこと。最近は「道を歩いていて日本人から道を聞かれる」「日本語で平気で話される」という愚痴に変わってきたほど、日本(東京)でガイコクジンは浸透している存在である。外国人と道ですれ違っても誰も振り返らないし、ちょっと道に迷ったり読めない看板の前で外国人が右往左往していても、よほど観光客らしくカメラでもぶるさげていないと、誰も親切に助けてあげようともしない。
最近、「エレベータ開いたら日本人のおばさんが僕を見て『わっ』と驚くんだよ、黒人だからだよ!」と代々木に住む某D君が声高に憤っていた。が、彼はだれでもそりゃ驚くでしょ、と思うような長身、筋肉マン、おまけに笑ってないと超コワイ顔に見える青年だ。少なくとも、私の生活範囲の渋谷や三軒茶屋では、警官さえも「はい、そこの方、横断歩道を渡る!」と、外人だろうが日本人だろうがをさばいている。

コンゴの町を歩いて第1日めに、昔懐かしい日本を思い出した。
人々がガイジンである私をジロジロ見る。振り返って見る。子供達が「ムンデレ~(リンガラ語で『外国人』の意味)」と叫ぶ。道で作業している大男が汗をぬぐって振り返って私がそこにいたので『ワーッ』とびっくりする・・・ 懐かしい昔の日本人を10倍大げさにしたようなビッグな反応だ。

たしかに、町のビジネス街のほんの一角を除いて、ここコンゴでは、まったく外国人の姿が見えない。観光客というものが、まったく見当たらない。人通りの多い繁華街を忙しそうに足を運ぶ人々が、あれ、いま見たアレはなんだ?というように、私のほうを振りかえる。

この赤道の国で、結構どうでもいい格好してバケーションを過ごしている私にとって、始終まじまじ見詰められるのはあまり居心地がよくない。スターでもない私は「Hi!」とにっこり手を振るわけにもいかないし、なに見てんのよ、とコンゴ人を相手に口論できる会話力もパワーもまだない。なにより、ジロジロ見るその目が、人なつこい好意的な場合もあれば、とりあえずすみません、と謝ってしまいたくなるおっかない目もある。または、私は宇宙人?と自問してしまうほど心底びっくりしたようなリアクションの子供もいる。

暑いし日差しが強いので、真っ黒のサングラスをかけて町を歩いていると、道のずっと先のほうで遊んでいる子供達が、私のほうを指差してなにか叫んでいる。近くまで来ると、じーっと私をみて「○○XXだよ!」「ノーノー、X○X○だよ!」と、なにか言い合いをしている。日陰でサングラスをとると、「ほらーやっぱりシノワーズ(中国人)だ」 「ムンデレかとおもった~」

外国人がほとんどいないコンゴでも、中国人とアラブ人は雑貨店などを経営している。東洋人はすべて中国人、ということになっているらしい。私も何度か、「わたしは、ニ、ホ、ン、ジ、ン」と説得を試みたが、「ふーん」「だいたい同じでしょ」「ま、いいよそのくらい」(どっちがいいんだ?)と手ごたえのない反応が多い。そのうちだんだん私の中でも、世界地図がヨーロッパ、アメリカ、アジア、その他、くらいのおおざっぱな色分け地図に変わってきた。

それにしても、その反応をみると、ムンデレ(=外国人)の中にはシノワーズ(中国人)は入っていないのかーと思った。日本でも、中国人や韓国人のことをガイジン、とは呼ばない。ガイジンとは、日本人から人種的に離れているアメリカ人やヨーロッパ人のことだ。コンゴで何人かに聞いてみたら、中国人もムンデレだ、と言うのだが、論理的にはそうでも、感覚的な「ガイジン」とはやはり「白人」のことらしい。

そして、「ガイジン」「中国人(つまり東洋人)」は、それぞれまとめて呼ぶが、アフリカのほかの国の人のことは絶対に「ガイジン」とは言わない。あくまで「コートジボアール人」であり「セネガル人」であり、その国民名である。私の目からは絶対に見分けがつかないが、コンゴ人は、「ほらあそこに立ってるナイジェリア人は・・・」とか、「あのブルキナファソ人の家族は・・・」とか見分けがつくらしい。いちばん微妙なのが、数年前にザイールからおなじ「コンゴ」という国名になったが引き続き「ザイール人」と呼ばれている隣国の人々。ブラザビルとは川をはさんでキンシャサが首都である。コンゴ・ブラザビル人とはなにかにつけて互いに比較、競争意識がある。民族的には同じで、言語も同じリンガラ語でもあり非常に近いはずだが、コンゴ・ブラザビルはかつてフランスの植民地となり、コンゴ・キンシャサはベルギーの植民地となった。独立後も、国はいまでも別であり、文化的にまったく違うということらしい。

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by tytomoyo | 2007-03-26 17:45 | ムンデレかシノワーズか

ブラザビルに着くと、そこは停電だった。

パリから南下すること8時間、いよいよブラザヴィル・マヤマヤ空港に到着した。

そこは熱帯の風がやんわりと吹き、ココナツの木が立ち並ぶ南国。人々はゆったりと陽気に出迎えてくれ・・・・

というのを想像していたのだが、実際にはまず、空港からして騒々しいことこの上ない。
人と荷物とが縦横に動き回って、その上、空港の職員だか出迎えだか区別もつかない人々でごった返している。人の頭越しに声を張り上げている人がいる。緊急だから叫んでいるのではなくて、どうも遠くの人と挨拶みたいな会話をしているようで、叫びながら笑い声が混じる。

「1日に飛行機が何本も到着しないからね。ビッグイベントなんだよ」とJ夫が説明する。
だったら、もうすこし周到に準備して待ってれば、と思うのは日本人の理屈であって、ここではただ現状把握に努めなくては。税関はこっちですか?と私達が係員らしき人をつかまえて言うと、わかっている、ちょっと待つんだ、てなかんじで誰かを呼んで、なんと税関ゲートの鍵をこれから探すらしい。

空港内は、おそろしく忙しそうに歩き回る人で、殺気立っている。そもそも、どの人が空港職員なんだかわからない。税関の鍵を探している人は、ロサンジェルス・レイカーズの背番号つきのランニングを着ているし、隣のガードマンみたいな制服の男性は、ランニングシャツから何か指示されている。

荷物受け取りの場所に行くと、騒ぎはますます大きくなっており、お客よりもポーターたちが我先にと荷物を待ち構えている。一見誰もがきびきびと働いているように見える。が、頼みもしないのに荷物をおろして、次々積み上げている。ほかのポーターに邪魔だ、ここに置くな、といわれて、しばらく口論したあと、20センチくらい動かす、という動作を繰返しているに過ぎないことが、よく見るとわかってくる。かたや乗客が、ダンボール箱やら、ガムテープぐるぐる巻きの紙袋やらを運ぼうとして、ビリビリ破ってしまって、そこらへんに広げている。
こういうのを「しっちゃかめっちゃか」というんだっけ、と、全然聞きとれない言語にまじって、やや語感が似ていなくもない日本語が浮かんできた。
やっと私たちの荷物をみつけると、J夫はもうすっかり殺気モードになって、「たのんでないっ」とポーターの手から荷物を奪い返す。

空港から出てわかったのだが、街は停電で真っ暗だった。
暗闇の中なのに、J夫は、甥のC男と奥さんのD子、3歳の娘のS子を難なく見つける。私には初対面の彼ら。以前から話だけは聞いていた彼ら。「やっと会えたね-、よく来たねー」と出迎えてくれる。でも、暗くてよく見えない。
「週に1、2回停電になるんだよ、この国は。あと1時間くらいで電気、つくはずだから」

D子がタクシーをつかまえて、荷物を見せ、値段の交渉をする。ようやく乗り込み、夜の市街に走り出す。ところどころ、自家発電をしているレストランなどが見えるが、あとは信号も止まったのか、もともと信号や街灯なんてほとんどないのか、道も暗い。が、人はたくさん外にでている。
車が行く道の両側には、店がならんでいる、らしい。電気が通っているカフェらしき店からは、強力に明るい照明と、強力にボリュームアップしたファンキーな音楽が、スピーカーから流れている。どこも、ビーチパラソルとプラスチックの白い椅子がたくさん並べてあって、これで明るければ、海辺みたいなかんじかもしれない。あとは暗闇に人がわさわさといる気配と、人々が話したり叫んだり笑ったりする声だけが響き渡っている。

信号も停電?と私が聞くと、J夫が「ブラザに信号はあるかって。」と言って、車中全員わっはっはと笑う。
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by tytomoyo | 2007-03-26 17:42 | コンゴ到着